先日、手話サロン(準備中)に先立って、利用者のみなさんと手話学習を行いました。
もっと手話を身につけたい聴者を相手に、当初は分かる範囲で、利用者さんも手話を教えていました。
日本語の単語が並ばれている用紙を見ては、時々「これはどういう意味?」と戸惑う場面がありました。
その場面を見た聴者は「手話を使うろう者だから何でも知っていると思っていた」とのことです。
誤解されやすいのですが、日本人なら日本語を全て知っているのかというと、どうでしょうか。ことわざ、四字熟語も、外国人の方が詳しい、ということもあると思います。
実際に、ろう者を相手に、日本語の単語の意味を手話で説明しようと思ったら通じない、ということも出てきます。
ろう者だから手話を何でも知っている、という見方が起きるのはなぜでしょうか。
そこには、日本語をベースに生活言語として使用している視点があるからでしょうか。
手楽来家では、「知らないことを恥として見る」のではなく、「知らないことは、知ることへの一歩」、として見ています。
人間、完璧なことができない分、ろう者でも、勉強したいという人は勉強しています。
新聞に目を通したり、テレビのニュース番組を見ては、「これはどういうこと?」と関心を示しています。
情報を知りたい、情報を受信したいということは、社会との接点を持ちたいという表れでもあるように思いました。
手楽来家の利用者さんたちも、聴者の手話学習と同席し、初めて「こういう言葉があるんだ、知らなかった」とお互いに確認し合っています。
聴者にとっても、日本語の意味を手話で説明する良い機会になったので、またこのような機会を作りたいと考えています。