言葉だけが情報ではない

耳が聴こえないことがどういうことか、なかなか想像できないと思います。

手話通訳を行っている人の中でも、「聴こえない」という現実について知り尽くしている人は多くないと思います。

 

手楽来家にいる利用者のみなさんと話をしていると、時々、聴こえないということについて考えさせられます。

 

手話通訳や要約筆記等の情報保障の手段はありますが、「言葉を伝える」だけではないのですね。

 

例えば、葬式に参列する時に、司会または進行役の一声で場が動く、というのがあります。

瞬時、聴者は理解し、行動に移せるのですが、聴こえない人から見ると、言葉として分かったんだけれど、

その次の行動をどうすればいいのか、判断ができないというのがあります。

 

言葉と行動様式、でしょうか。あるいは、暗黙のうちに身につけられる日本文化というものがあり、

手話が分かる人や支援を行う人はそれらの情報も伝えていく、ということが自然にできている人もいます。

 

言葉を伝える、の前に、なぜそういうことが起きているのか、なぜこういう結果になっているのか、というプロセスを伝えることも通訳スキルの一つなのですが、案外、難しいところです。

でも、言葉以外の情報も必要であると気がついただけで一歩前進だと思います。

 

毎日、手楽来家の中ではマジョリティとマイノリティの間に生じる情報の差も含めて、「学び」の連続です。

 

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コメント: 2
  • #1

    釈千手 (水曜日, 22 5月 2013 11:52)

    そうですね。ことばだけを伝えれば良い訳ではありません。同感です。

  • #2

    管理人 (水曜日, 22 5月 2013 13:06)

    釈千手さま

    コメントありがとうございました。手楽来家では毎日の生活の中に、「通訳場面」に出会うことがあります。