『顔面ひきのばし運動』

――彼女は、募金が日課だ。

変に思うかもしれないけれど、自分でもよく言っている。

ちなみに、僕は朝起きたときの顔面引きのばし運動が日課だったりするが、それはまだ受け入れられやすいほうだと思う。(「顔面ひきのばし運動」とは、姉が名付け親で、僕が中学生の時に高校生だった姉が、「こうすると目覚めが良い」と言って、ほっぺたを自分でつまんで左右に引っ張ったりする運動のことだ。)

 

――スーパーやコンビニのレジには、「義援金」とか「募金」とか書かれた箱が設置されていることがある。ときには、彼女は募金のためだけに、お店に行くのだそうだ。

通常、お店で買い物をして、お会計の際にふと目についた募金箱に、心ばかりと貰ったお釣りを入れる人が多いのかなと勝手に思い込んでいた。僕がそうしているだけかもしれないけど。

 

――彼女は耳が聞こえない。

僕は大学で彼女に初めて出会った時、僕のそれまで出会ってきた人たちとは大きな違いが一つあった。それは僕の声が、音として彼女に伝わらないことだ。僕はそのとき、どうやって彼女と話したら良いのか全く分からなかった。もし、彼女が僕とゼミが別だったとしたら、僕はきっと必要がないので、彼女と話す方法は探しもしなかったと思う。

ゼミの先生が色々な本を貸してくださり、僕は少しずつ「筆談」や「手話」という方法があることを知っていった。そうしたら、ゼミでの発表の資料説明や、授業でのやりとりが少しずつ出来るようになった。僕たちは少しずつお互いを知り、耳が「聞こえる」「聞こえない」とはどういうことなのか、考えるようになった。彼女が生活の中で不便に感じることを面白おかしく話したりしている。

 

――買物したお会計の金額が「1,000円」とか「2,000円」とかぴったりキリのいい数字になることはまずない。たいていは、端数が出るが僕は1円単位でぴったり合わせて支払うのが好きで、そうすると自然に僕の財布はいつも小銭が少ない。でも、彼女は店員さんの金額コールが聞こえないため、足りないと困ると思って、1,000円とか5,000円とかお札を一枚だけ出すのだそうだ。そうすると、必然的に財布は小銭だらけで、膨れた財布はいつも彼女のバックの中でも相当な存在感で居座っている。

そのお金を彼女がどうしているのかを知った時、僕はとても素敵な日課だと思った。

――先日、中国からの留学生から同じ話を聞いた。「日本に来たばかりの頃、お会計がいつも不安だった。足りないかもしれないので、いつもお札だけ出していた。」