『イヤホンの秘密』

今日こそ私は彼の耳の秘密を突き止めるのだと、心に決めていた。


彼はクラスで目立たない一見普通の男子生徒だった。朝はいつも始業時間よりかなり余裕をもって学校に来て、自分の机に座ってイヤホンで音楽を聞いていた。いつも音楽を聞いている彼は、休み時間になる度にイヤホンを取り出していた。授業の態度もまじめで頭を机に垂れているのはあまり見たことがないし、そのかわり授業の時間に、またはクラスで何か例えば文化祭の出し物を決めましょうとか、そんなときに発言することもない、そんな人だった。1学期の終わりごろだったと思う。私が珍しく朝早く学校に着いて、自転車置き場から生徒玄関に向かって歩いているとき、たまたま正門のあたりに彼の姿を見た。すぐ近くに、黒い軽自動車がハザードランプを点滅させて停まっていた。彼は助手席から降りたらしく、運転席には多分母親なのだろう、いま車を発進させようとするところだった。毎日送り迎えしてもらっているのか、その日たまたま送ってもらったのか、私は分からなかった。その時、彼が両耳に装着していたイヤホンのコードの先を目で追うと、「なんとかpod」なる携帯音楽プレーヤー本体は無かった。コードはどこにもつながっていなかったのだ。私はその時、それが不思議で不思議でたまらなかった。

私は幼いころ、耳の鼓膜に障害を受けて、私と同じように聴覚に障害を持つ子が通う聾学校で学校生活が始まった。小学校の時に、普通学校に転校することになってから、私はクラスの雰囲気や規模の違いに戸惑った。聾学校の頃、不便と感じたことのないことで、毎日悩んだ。私は、先生や友達と向き合って一対一での会話で不自由したことはないが、クラスの子が大勢で盛り上がる会話は何を言っているのか分かる時と分からない時があって、自分だけ置いていかれるような感じだった。それで、私は適当に返事したり分かったふりをしたりすることが多くなって、皆との距離が離れたから、人付き合いが苦手になった。

彼にも似たような節があると思った。彼の友達はうちのクラスにはいなかったし、なにせ休み時間や放課後は、決まってイヤホンで音楽を聞いているから誰も彼に話しかけなかった。たまたま、私が去年の2学期に掃除当番が一緒の班になってから、少しだけ彼と話すようになった。

そして、今日、私は彼に「あなたのイヤホンのコードはどこにつながっているの」かを聞いた。返ってきた答えは、私が想像していたこと全てに不正解を突き付けるものだった。彼は、これまで一度も音楽を聞いていなかった。彼はイヤホンを音楽プレーヤーに繋いでいなかったから、当然そこに音楽はなかった。イヤホンをしていたのは、そうすることで、人から話しかけられるのを避けるための策だったのだ。彼は対人のコミュニケーションに大きなコンプレックスや極度の恐怖をもっていて、私に似ているところがあると思った。ちょうどニュースで聴覚障害をめぐる大きな事件があったみたいで、「聞こえる・聞こえない」ということに関する特集をやっていたみたい。人間の耳って本当に不思議だと思い知らされた。